知っているだろうか。
ビナウォークにある『七重の塔』、
あの塔の本当の姿を…
信じるか信じないかはあなた次第…
各方面から怒られる言い回しをした後ですが、本題に入ります。
海老名に来る人達の視界に必ずと言ってもいいくらい入る『七重の塔』あれは、塔復元模型なんですよ。
でも、どこのって知ってます?
京都の五重の塔の偽物と言われがちですが…
今や、子どもから大人まで広場や公園として親しまれていて、通称「つくし広場」とも呼ばれつつある現在国の史跡となっている相模国分寺跡のものです。つくしいっぱいとれるらしい(小声)。
奈良時代中期、聖武天皇による「国分寺建立の詔」で国を厄災から守るために国家鎮護として各地に作ったのが国分寺で、建立する際は、地形的条件と政治的条件を満たしたその国の最も良い場所にと作られたらしいのです。条件の説明したいけど、長くなる…
海老名は条件を兼ね備えていた土地だったようです。
当時は自然災害や伝染病、外交や反乱が危惧されていて、天皇が仏教による平安と繁栄を祈る試みとして、命じたもの。
「仏教の鎮護国家の思想でもうなんか色々不安要素消したーい!!」って図った感じ。
絶対こんなに軽い喋り方はしてないと思うけど、そんな感じ。
何をしてたかっていうと、ひとつは
僧侶のいる国分寺と尼僧のいる国分尼寺があって、その僧侶と尼僧が写経を塔に納めていたよう。二つの建物は結構離れたところにあったので、交流などはしてなかった様子。
そして写経してたお経の名前がこれまた長くて覚えられない…
当時としては、最大規模の大きさ。
例の七重の塔は約65メートルもの高さだったそうで、現代のビルで例えると22階くらいの高さ。そんな高いビルはここらへんにはない!
当時の人は、急にそんな大きいものができるとは思わないから、ついつい「まじかよ」と言いたくなる大きさだったはず。
ちなみにビナウォークにある七重の塔は3分の1スケールで再現したもので、高さは21・97メートル。ビルでいうと7階くらい。これは海老名のどこかにありそう…?
一度行ってみるのもいいのではないでしょうか。
跡地がわかるようにあるので、一度、行って想像してみてほしい。手を広げて、上を見上げると浪漫を感じます。今現在、ポケモンGOでお馴染みのAR機能を使って、平安時代の七重の塔を蘇らせる手法を開発中なのだとか…すごい…たのしみ。
いつだって、忘れがちになっていますが、私たちは歴史を刻みながら生きているんだなあと改めて実感。そして現代の技術に圧倒。
そしてなにより近辺には美味しいお蕎麦屋さん「国分寺そば」もあるし、「Trattoria Legami」というレストランもあるので是非。
あ!! 公園のどこかに、えびーにゃ(のマスコット)を置いておきました。助けに行ってあげてください。
嘘です。
文/小林 愛 イラスト/和田 有里絵
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