普段から、遊んでいる場所や住んでいる場所。その近くに、歴史や文化的な建造物、遺跡は隠れている。
常に彼らはかくれんぼをしている。ただ、「もういいかい」と聞いて、答えてくれないし、画面の奥でも二次元の世界でも、教科書の中だけではないその歴史の産物を私たちはいつだって目の当たりにしているのに、案外それに気づいていないんです。
「え?古墳?」
学生の頃を思い出す言葉を聞いて、思わず聞き返す。古墳があると示された場所が、海老名市内にある「秋葉山古墳群」だ。2005年7月14日に国の史跡に指定された貴重な文化財。その場所は、柔らかな風が吹けば、木々の緑と共に、木漏れ日が揺れる穏やかなところ。
秋葉山古墳群には、5つもの古墳が存在する(6個目もあるというが、不明らしく…)。海老名市内には他にも古墳は存在するが、ここにある古墳は一番古く、今から約1750年前、弥生時代から古墳時代の過渡期に造られた古墳群なのだ。
聞き覚えのあるワードを使えば、卑弥呼さまがいた時代の海老名を治めていた王様のお墓になる。
今では考えられないくらい大きい「お墓」になるのだが、きっと遠くからでもわかるような大きさとその存在感は、「わかる?俺って偉いんだよね(絶対こんな言い方してない)」という権力を見せつけるためでもあったのだろう。
普通のことを言いますが、今こんなことしたら破産する。
特に維持費がね、あと土地代ね。あ、あと人件費か。
また、この古墳群には、二つの神さまの祠があり、第2号墳には火を防ぐ神をまつった秋葉社、そして第1号墳には山の神をまつった山王社がある。
「秋葉山古墳群」の由来は第2号墳のものからきているようですね。
皆さんも学生の頃の社会や歴史の授業で、「前方後円墳」などの古墳の名前を耳にした事があるのではないでしょうか?「あ、知ってる。でも、古墳って…どうやって…作っているんだっけ?」っていま思いましたよね?!思っている事が、わかりますよ。私エスパーなので。(真顔)
古墳は、土を盛ったり、山を削ったりしてできたものなのです。
王様のご遺体は、古墳の真ん中に穴を掘って、上からいれる(横からの場合もある)。様々な様式や、葬式儀礼もあり、その祭祀の際に使用した副葬品がのこり、時は移り変わっても「ここでなにがあったか」「どのようなものだったのか」など、祀っていたものの価値でその王様の権力の強さがわかるという。
また、古墳の形によって、歴史的な変遷もわかる。例えば、朝廷の影響があった、などの変遷がわかるのだ。現代のファッションのようで、流行だってきっとあるし、年月が経つにつれ地域によって、埴輪や変わった副葬品が発見されるんです。
元の状態を残したまま保存してあるこの海老名の土地は、穏やかな時間が流れ、時と共に歴史は育まれている。
今は、住宅地に囲まれ、賑わいの声が木々のざわめきとともに耳に届く。
一度訪れるのもありなのではないかと思うので、嘘ですが、今回もえび〜にゃを置いておきましょうか。
文/小林 愛 イラスト/和田 有里絵
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